とうすけろぐ

インプットしてきたことをアウトプットしていかなきゃいけないんじゃないの?

「学力」の経済学

「学力」の経済学

「学力」の経済学

 

 

本書は、教育経済学者の著者が、「教育・子育て」について、教育経済学によって明らかにされた「知っておかないともったいないこと」を紹介した本です。

いきなり教育経済学?となったと思いますが、著者は次のように説明しています。

教育経済学は、教育を経済学の理論や手法を用いて分析することを目的としている応用経済学の一分野です。(はじめに より)


そもそも経済学って何?と私なんかは思ってしまうのですが、本書の中で経済学とは?について書かれていたので引用します。

経済学とは、「人々が(ご褒美のような)インセンティブにどのように反応する」を明らかにしようとする学問なのです。(P29)

とてもわかりやすい表現でした。
これから「経済学」という言葉を見聞きしたら、上記のように変換して考えれば簡単に理解できそうな気がしますね。

 

それでは、本書で紹介されている重要な3点について書いていこうと思います。
著者は、子育てに関して本書の冒頭で次のように言っています。

・ご褒美で釣っても「よい」
・ほめ育てはしては「いけない」
・ゲームをしても「暴力的にはならない」
(はじめに より)

 

ご褒美で釣っても「よい」

経済学的には、子どものころにちゃんと勉強しておくと将来の収入が高くなることが数字で示されているようです。
しかし、子どもは「将来の収入が高くなるから今ちゃんと勉強しなさい!」と言われてもするわけがありません。子どもに限らず人間は、近い将来の満足を大切にしてしまうようなのですが、子どもは遠い将来に得られる満足(高収入)より、近い将来、つまり今テレビをみたりゲームをしたり遊んで得られる満足を優先してしまうのです。
それならば、近い将来の満足(=ご褒美得られる)を与えて、遠い将来の満足(高収入)にもつながるように、ご褒美で釣って勉強させても「よい」ということのようです。

「目先の利益や満足をつい優先してしまう」ということは、裏を返せば「目の前にご褒美をぶら下げられると、今、勉強することの利益や満足が高まり、それを優先する」ということでもあります。実は子どもにすぐに得られるご褒美を与える「目の前ににんじん」作戦は、この性質を逆に利用し、子どもを今勉強するように仕向け、勉強することを先送りさせないという戦略なのです。(P31)

 

ただ、ご褒美の与え方についても本書ではおもしろいことが書かれています。

 

「テストでよい点を取ればご褒美」と「本を読んだらご褒美」-どちらが効果的?

「テストでよい点を取ればご褒美をあげます」
「本を1冊読んだらご褒美をあげます」
(P32)

上記のどちらが効果的かというと、私は「テストでよい点を取る」だと思ったのですが、「本を1冊読んだらご褒美をあげる」なのだそうです。
私がこのブログを書いている理由でもあるアウトプットを意識して読書することもそうなのですが、インプットではなくアウトプットに注力することにより、自分で考えるという工程が追加されて、より効果的だと思ったのですが違うようです。

「インプット」にご褒美が与えられた場合、子どもにとって、何をすべきかは明確です。本を読み、宿題を終えればよいわけです。一方、「アウトプット」にご褒美が与えられた場合、何をすべきか、具体的な方法は示されていません。
ご褒美は欲しいし、やる気もある。しかし、どうすれば学力を上げられるのかが、彼ら自身にわからないのです。
ここから得られる極めて重要な教訓は、ご褒美は、「テストの点数」などのアウトプットではなく、「本を読む」「宿題をする」などのインプットに対して与えるべきだということです。(P36)

これは子どもだけでなく、大人にも通用することなのではないかと思います。普段の仕事で考えると、結果だけ指示されてあとは自分で考えてやれいうのはよくあります。それで出きる人もいるでしょうが、すべての人がそういうわけではありません。
甘いと言われるかもしれませんが、その仕事を小さな作業に落とし込み、一つひとつやらせることにより、最終的なアウトプットへつなげてあげる。そうするにより結果1人で考えてアウトプットへつなげる力を身につけることができるようになるのではないかと思います。

ほめ育てはしては「いけない」

ほめ育てはしてはいけないと聞くと、いっさいほめないで厳しく育てるのかと思ってしまうかもしれませんが、本書では、ほめてはいけないということではなく、重要なのは「ほめ方」だとしています。

 

「頭がいいのね」と「よく頑張ったわね」-どちらが効果的?

これは、直感的に頑張ったことをほめた方が効果的だと私は感じたのですが、その通りでした。逆に頭がいいというほめ方をすると悪影響があるようです。

「子どものもともとの能力(=頭のよさ)をほめると、子どもたちは意欲を失い、成績が低下する」(P49)

 

どうしてこのようなことになるかというと

 

「頭がいいのね」ともともとの能力をほめられた子どもは、2回目の難しめのIQテストを受ける際、この試験のゴールは「何かを学ぶこと」ではなく、「よい成績を得ること」にあると考え、テストでよい点数が取れなかったときには、成績にウソをつく傾向が高いことがわかったのです。
 また、彼らは、よい成績が取れたときはその理由を「自分は才能があるからだ」と考えたように、悪い成績を取ったときも「自分は才能がないからだ」と考える傾向があったことがわかっています。
 一方、「よく頑張ったわね」と努力した内容をほめられた子どもたちは、2回目、3回目のテストでも粘り強く、問題を解こうと挑戦を続けました。努力をほめられた子どもたちは、悪い成績を取っても、それは「(能力の問題ではなく)努力が足りないせいだ」と考えたようです。(P50-51)

頭がいいとほめられて育ってしまうと、挫折に弱くなってしまうということになるのでしょうか。出来なくても失敗しても才能や能力のせいにせず、自分の努力が足りなかっただけだと再挑戦する人間になってほしいですね。

ゲームをしても「暴力的にはならない」

子どもが残虐なゲームをしていると、現実世界とゲームの世界の区別ができなくなり、現実世界で罪を犯す大人になってしまうというようなことを、テレビやネットで見聞きした人もいるのではないでしょうか。

しかし、本書ではそのようなことはないと述べています。

テレビやゲーム「そのもの」が子どもたちにもたらす負の因果効果は私たちが考えているほどには大きくないと結論づけています。
(中略)
ゲームの中で暴力的な行為が行われていたとしても、それを学校や隣近所でやってやろうと考えるほど、子どもは愚かではないのです。(P54-55)

むしろ、ロールプレイングゲームのような、考えないとクリアすることが難しい複雑なゲームの場合には、創造性や忍耐力を培うのによい影響があるようです。
私も小さいころたしかにゲームをするときに頭を使っていたと思います。頭がさえない日は、ロールプレイングゲームやシュミレーションゲームのような複雑なゲームをする気になれず、単純な格闘ゲームやレースゲームなんかをして時間をつぶしていた記憶があります。

 

しかし、テレビやゲームを無制限に観させたりやらせたりしても問題ないわけではないようです。

1日1時間程度のテレビ視聴やゲーム使用が子どもの発達に与える影響は、まったくテレビを観ない・ゲームをしないのと変わらないことが示されています。
一方、1日2時間を超えると、子どもの発達や学習時間への負の影響が飛躍的に大きくなることも明らかになっています。(P57)

”ゲームは1日1時間まで”と母親に言われたのを思い出します。母親がこのようなデータを知っていたはずもないので偶然ですが、恐るべし母親といったところでしょうか。

 

感想

本書では、他にもたくさんの「知っておかないともったいないこと」が紹介されています。”経済学”というなんだか難しそうなタイトルがついていますが、とてもわかりやすく書かれているので、子育て中の方はぜひ読んでみてください。
私には子どもはいませんが、「学力では計れない非認知能力」や「ゆとり教育が教育格差を拡大させたこと」など、興味を引かれるところが多数ありましたので、お子さんがいない方にも十分たのしめる内容になっていると思います。

 

最後に経済学つながりで1冊ご紹介。

日本経済新聞の「やさしい こころと経済学」として連載されていたシリーズをまとめた書籍になります。経済学に興味を持たれた方はぜひ読んでみてください。

こころ動かす経済学

こころ動かす経済学